大阪のローマピザ職人しもせのホワイト飲食経営論的な何か

年商2億円・年間休日130日のホワイトなイタリア居酒屋とラーメン屋を6店舗経営/本職ローマピザ職人/元飲食広告制作サラリーマン/損益分岐点の低いローコストほのぼの飲食経営スタイル広めて、飲食業界を過労しなくても成功する世界にしたい/全国750社参の飲食経営勉強会の2019年MVP経営者💖←参加企業募集中(個人店OK)

【最初に作った飲食店を失敗して、自分で自分をクビにして会社を売却したドン底時代の話】

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こんにちは!大阪のローマピザ職人しもせです!今は5店舗経営しております!順風満帆です!が、地獄を10回くらい経験しております・・・というような、私がボロボロになってた頃の話をすると、聞く人はキャッキャウフフっとみんな喜んで受けがいいので、その話を詳しくまとめてみたいと思います、けっこうな長文だけど面白い話ですよ!

俺たちは!ドン底から這い上がったのだ!



2010年、26歳の時に地元神戸で『ファルピッテ(今も繁盛店です!良い店!)』というピッツァ&イタリアンの経営を始めました。当時の私はリクルートという会社でホットペッパーの広告営業をしておりました。飲食店の売上を上げるために、コンサルティングをしたりして広告を作ったりする仕事です。そこそこ営業成績も良く、ここで私は完全に調子に乗ってしまいました。

こう思ったのです、『あれ?飲食店経営ってちょろくね?俺が口出して、広告出してアドバイスしたら、すぐ売上伸びるやん。ちょろいわ。自分でやろう。』と。若さとは恐ろしいですねえ、自分の能力を過信しまくっておりました。


私は大学時代、ろくに勉強もせずに毎日毎日アルバイトでピザを焼いておりました。その経験があったので『ピザ屋なら出来るわ』と、そのくらいの意識の低さでピザ屋を始めました。

飲食店の経営について知ってることは、広告とピザ、だけで数字のことが何もわからず、いきなり家賃50万円のところで始めました。今考えたら、馬鹿ですねえ・・・家賃50万円、ひぇぇ・・・ですねえ。何も知らなかったのに、全部知ってるつもりでいたんです、そう、それが26歳男子・・・!


お店を作るのにお金がかかりすぎて、親戚や友達に借金したりして、たくさん皆様に迷惑をかけてしまいました、y当時は、困難に立ち向かう俺すげえ、って思ってましたが、ただのクズですね・・・!そんだけ飲食店経営に未熟な男のお店がオープンしてどうなったか・・・




いきなり大繁盛しました!!



なんかすごいお客さん来る・・・俺すげえ・・・ってまた思い込みました。今ならわかる、繁盛したのは、立地が良くて広告費かけただけや!と。立地さえよければ、2010年当時は広告にお金出すだけで集客出来た時代だったんですよね、2019年は広告にお金かけても無駄ですけどね!難しい時代だぜ!



調子に乗ってしまった私は、27歳の時に、立地があまり良くない場所に広告を使わず、2号店『コロピッテ(現在はレグノというお店にリニューアルしました)』を作ります。自分の実力を過信して、立地も広告も考えずに勝負してみたかったんですよね。

地獄の始まりですね。儲かったお金を全部つぎ込んで、工事中に銀行口座が0円になりました。でも、余裕、1号店が儲かってるからー!とか言ってました。意気揚々と2号店をオープンしました。またお客さんであふれるんやろなあ、と・・・お客さん行列できるんやろなあ、・・・。それでは、2号店オープンします!





お客さん0人。



今でも覚えてます・・・お店をオープンしても誰も来ないんですよ・・・ランチのお客さん0人、ディナーのお客さん0人・・・スタッフの数は5人・・・・地獄です・・・私はその日のことを一生忘れません、帰り道にココイチで激辛カレーを泣きながら食べました・・・あれは人生で一番辛い日だった・・・


ここから私は段々おかしくなっていきます。やることなすこと失敗ばかりします。節約しすぎて、料理の質を落としてしまったりもしました。自宅は4畳の部屋になりました、月給は3万円くらいになりました。1号店は死ぬほど流行ってて、雑誌や街の人達にはちやほやされてました、でも、2号店は死ぬほどすべってて、お金も心も体も余裕がまったくありませんでした。イライラしてました。



その頃の私は、怒ってばかりでした。今は一切怒らない仏のしもちゃんなんですが、27歳の未熟な私はイライラクズ野郎だったんですね、安西先生みたいですね。毎日疲れ果てて、スタッフに悪口を言うようになってしまいました。『なんで出来ひんねん!』『もっと頑張れや!』『仕事自分で考えろや!』なんて言ってました。うーん、今なら絶対こんなこと言わない・・・35歳現在の仏のしもちゃん最高や!27歳地獄のしもちゃんクズや!



ある日、私はデートを優先してシフトに入らなかったアルバイトスタッフをめちゃくちゃ怒ってしまったんですね。『そんな気分で働くな!』とか言ってしまったんですね。今なら『おい!仕事よりデートの方が大事やろが!』って言いますけどね・・・デート大事だよね・・・。その日からです・・・



スタッフ全員に無視されはじめました



たまたま成功しただけなのに、天狗になって、調子に乗って、失敗して、その失敗のイライラを他人のせいにして、スタッフに悪口を言ってしまい、全員に嫌われて信頼感ゼロ。今なら全員にすぐに謝ると思いますが、当時の私はみんなに謝れなかったんですね、俺が正しいのに頭さげるわけあらへん、みんなアホやって思ってたんです。

広告費をかけ、2号店も徐々にお客さんが入りだし、経営的には表面上は上手く行き始めていたのですが、内部事情は地獄。私は、スタッフの信頼を集めていた副社長の小野隆くんに会社を買い取ってもらいました。最低で信頼感ゼロの社長の下瀬は、これ以上、お店を続けることが出来ませんでした。完全に心が折れてしまいました、毎日毎日荒れておりました、当時のmixiとかfacebook絶対見れない・・・うぅ・・・お恥ずかしい・・・。うわ・・・検索したら出てきた・・・当時のフェイスブックのキャプチャ画像貼ります・・・地獄や・・・27歳の下瀬め・・・なんやこいつ・・・



傷心の私は、みんなに借金を返し、実を言うと全額返しきれなかったのですが、とにかく手元に現金50万円だけ残りました。ほんのちょっと前までは、神戸で一番勢いのある若手経営者とか言われてましたが、ただの無職です。何をしていいかわからず、これからどう生きていこうか、悩みすぎて一人でサイゼリヤで泥酔した日が懐かしいです。実家の隅っこで毎日反省ばかりして、午前2時、耐えきれずサイゼリヤで泥酔する日々を過ごしました。自殺したろかな、って思ってました、28歳の頃です。



その後、私は実家にいるのも嫌になって、というか、神戸にいるのも嫌、日本にいるのも嫌、という気分になって、手元に残ったお金でイタリアに行くことにしました。イタリア料理屋をやってたのに、イタリアに行ったことなかったのです。私は逃げるためにイタリアに渡り、イタリアを一ヶ月かけて一周して、自分の料理の原点を見つめ直しました。そこでとうとう、料理の楽しさ、飲食店の面白さを、思い出しました。地獄のような日々だったけど、飲食店やって、お客さんに喜んでもらったのは、すげえ楽しかったなあ、と思いました。


日本に帰って、夜中にアルバイトしながら、一日10時間くらい図書館で経営と料理の勉強して、有名なピッツェリアやイタリアンや酒場に行って、勉強して勉強して勉強して、お金を貯めて、もう一度お店を作りました。


今度こそは楽しいお店を作るんだ、スタッフもお客さんも幸せになれるお店を作るんだ。その思いで、心を入れ替えて、29歳の時にチーナ邸というお店を大阪に作りました。そこからは小さい地獄はいくつもありましたが(嘘、めっちゃ地獄ある、めっちゃでかい地獄話もある)、なんとか乗り越えてまいりました。今はもう、スタッフの悪口なんて一切言わない、あんまり上手くいかないことも多いけど、みんなの幸せばかり考えてる。



ということで、2019年2月に5号店が1周年です!2号店が5周年です!いえーーーい!俺は、良い経営者になった!かつては!ゴミクズでした!でも今は、最高にハッピーなお店を作れるぜ!幸せな飲食店を作ると幸せになれるよ!今年もたくさんの人を幸せにするぜ!

ほな、また・・・次の地獄話でお会いしましょう



当時の2号店コロピッテの27歳下瀬の取材記事が出てきました
https://kobe.keizai.biz/headline/827/

ちなみにファルピッテはこんなお店ですねん(食べログ
https://tabelog.com/hyogo/A2801/A280101/28027468/